ネガティブな感情の奥に見つけたもの
『さらに奥へと探っていって、たどり着いた先で見つけたものは。』
私が、しばしば感じるネガティブな感情を探っていった先で見つけたものについてのお話です。
ネガティブな感情の奥に見つけたもの
昨年(2022年)末、年の終わりが近づき、日毎に日が短くなり、寒さが深まっていた12月中旬頃のこと。
いつもの机でパソコンに向かって作業をしているときに、無価値感が湧き上がってきたんです。
時々湧き上がってくる私にとっては馴染みのある無価値感です。
そのときに、ふと気づいたんです。
いつもネガティブな感情で苦しくなる時は、状況や考えることが違っていて、ときには絶望感、ときには行き詰まり感、ときには不安感、ときには無価値感と、全く別のものとして認識していました。
けど、
「ん?ちょっと待って。これってみんな違うものだと思っていたけど、同じ感覚だ。」
そう思い、これはどんな感覚だろうと探っていきました。
するとわかったのは、この感覚は『不足感』であるということでした。
そして、
「そういえば、いつもネガティブな感情をどうにかしようとコントロールしようとしていたかもしれない。」
ということにも気づきました。
ここで私の好奇心がむくむくと湧き上がり、この『不足感』の奥には何があるんだろうと思い、探っていきました。
『不足感』の感覚の奥にあったものも、『不足感』。
そしてその奥にあるのも『不足感』。
「まだ奥がある・・・。」
と思いつつさらに奥へと探っていって、たどり着いた先で見つけたものは、
『枯渇した心』
でした。
カラッカラに渇いて干からびて、ヒビが入っていました。
ガーン。なんていう状態・・・。
感覚的には、’見つけた’ というよりは ’触れた’ といった方が近いです。
今までも心が渇いていることは頭では知っていたけれども、そこに自覚が追いついた瞬間でした。
でも、こんなにカラッカラだったとは。
「そうか、私の心はこんなに渇いていたんだなあ。」
なんだか申し訳ない気持ちになりました。
そして、
「ネガティブな感情は心が渇いている叫びなのかもしれない。これからはもっと心を満たすことを意識しよう。」
と決心しました。
「心を満たす方法は、今まで学んできて、実践もしてきたので、これからはさらにそれをフル活用して、さらに心を満たしていこう。」
「でも、今できることはやっておこう。」
と思い、セルフセッションをしたのでした。
心を満たすために
自分を制限している信念
セッションはすべて身体の反応を確認しながら進めていきます。
最初に身体が反応したのは、”自分を制限している信念を特定する”でした。
「心の枯渇についてのセッションをしているので、きっとそれに関係あることだろうな。」
と思い、思いつくまま、あーでもないこーでもないと探っていきました。
すると、身体が反応したのは、『私は愛されていない』でした。
私は、「ですよねー。心が枯渇しているんだからそうかもしれない。」と妙に納得。
『私は愛されていない』という信念を持ち、その信念に基づいて物事を捉えてしまえば、心が枯渇してしまうのは当たり前ですね。
自分に愛を向ける信念
次に、心の枯渇の元になっている『私は愛されていない』という信念を、どのような信念に変えれば生きやすくなるか、適切なものを探っていきました。
身体が反応したのは、”自分を愛する価値がある”というメッセージ。
まるで、「自分に愛を向けてもいいんだよ」と潜在意識が言っているかのようでした。
でも、その時の私には、何も心に響きませんでした。心が枯渇していたからでしょうかねー。
そして、
”もし心を満たしたら、今日はどんなふうに変わりますか?明日は?来週は?来月は?来年は?今はできない、どんなことができるようになりますか?”
という質問にも反応。
私が望むのは、穏やかで安心して暮らすこと。
心踊るようなワクワク感で、ウェーイ!ってやるような、刹那的でアドレナリンが出るようなものは求めていないんです。
平凡な、なにげない日々の中で、小さな幸せを感じ、穏やかな心で安心を感じながら暮らしていきたい。
「もし心を満たしたら、穏やかで安心して暮らせるようになるんじゃないか。」と思いました。
身体も”うん、OK。”との反応。
では、そのためにどんな信念を持つことが最適か、身体が反応したのは、
『コンパッションで心を満たす』
でした。
コンパッション compassion は、日本語で '思いやり’ や '慈悲’ と訳されています。
そんな『コンパッションで心を満たす』というのが、私にとって最適な信念との反応でした。
ということで、『私は愛されていない』という信念を、『コンパッションで心を満たす』という信念に変えるためのワークをおこないました。
身体の反応を手放す
信念を変えるための最適なワークとして身体が反応したのは、’身体の反応としてプログラミングされているものを解除すること’ でした。
これは、過去にストレスに対する反応として身体にプログラミングされたものが、状況が変わり必要となくなった今でも作動しているものを解除するというものです。
私の場合で言えば、過去に『私は愛されていない』という信念を持ち、それに基づいて、身体が自動的に反応するようにすることで、その場を生き抜くことができ、役に立っていました。
けれども、状況が変わった今では、『私は愛されていない』という信念は不要なものとなっており、身体の自動的な反応で生きづらくなっているので、その反応を手放すということです。
『私は愛されていない』という信念を持つに至った出来事はいくつか思い当たります。
けど、”それを特定する必要はない”との身体の反応でした。
元の出来事はわかりませんが、思い当たる出来事のどれかかもしれないし、それ以外の出来事かもしれない。もしくは全部かもしれない。
知る必要のある時は、”出来事の特定をする”と身体の反応があるので、特に知る必要はないみたいです。
私も、「ま、別に知らなくてもいいや。」といった感じです。
元々の出来事が何であれ、自分は愛されないと思っていたら、穏やかで安心しては暮らせないですよね。
そして、『コンパッションで心を満たす』信念へと変えるために、そのほかにも必要な、心を満たすようなエネルギーワークをして、セッションを終えたのでした。
いつもと違う冬
セッションが終わった後も、『不足感』を伴うネガティブな感情は、ときどき湧き上がってきました。
そのたびに、「ああ、今、心が渇いてるって叫んでいるんだなあ。」と、囚われないように、コントロールしようとしないように、なるべく心を満たすようにして日々を過ごしていました。
あのとき見つけた枯渇した心を満たすように意識した方が、より心を込められる気がします。
そして、1ヶ月ほど経った今では、『不足感』を伴うネガティブな感情もほとんど湧き上がらなくなってきています。
ネガティブな感情が湧き上がってきたとしても、以前よりも早く感情が過ぎ去っていきます。
はっきり言って、楽です。
『枯渇した心』が少しでも潤いを取り戻していたらいいなと思います。
そんなわけで、例年よりは穏やかな気持ちで、少し暖かい冬を過ごしています。