体調の回復を妨げていた思考のクセ
『感じていない感情?何だろう?』
慢性疲労状態の私が、体調が回復して元気な姿を想像できないという信じ込みから自分を解放したあとのお話。
回復の停滞

慢性疲労状態の私が、体調が回復して元気な姿を想像できないという信じ込みから自分を解放したあとのことです。
その後、新型コロナの感染が拡がる中、ネットファスティングしてみたり、食事制限を続けてみたり、実家の掃除や畑仕事をして体力の回復をはかってみたりなんてことをしていました。また、MBSR(マインドフルネスストレス低減法)に参加し、充実した日々を過ごしました。
そして、徐々に体調が回復してきて以前ほどの気怠さはなくなってきたと感じるようになりました。
とはいっても、未だ気怠さや身体が重い感じはありました。そして、急に元気いっぱいになるものではないと頭では理解してはいるものの、自分が思うように動けないというもどかしさもありました。
そんな日々を送っていた、2020年の緑があざやかになってくる6月上旬頃のこと。体調の回復が停滞しているなーと感じるようになりました。
この状態をなんとか動かせないかと思い、セッションを受けることにしました。
この瞬間に集中する

感じていない感情
セッションはすべて身体の反応を確認しながら、身体が反応することに従って進めていきます。
今回のセッションで取り扱うこととして身体が反応したのは、『感じていない感情』でした。
感じていない感情?何だろう?
セッションでストレスを解消していくときは、主に不快などの感じている感情に焦点を当てることが多い。そんな固定観念を持っている私でしたので、プラクティショナーの方に感じていない感情と聞かれても、「???」となってしまいました。
それでも、感じていない感情を考えていきました。
無の境地
すると、身体が反応したのは『無』でした。
『無』といっても、ここで意味するのは、何も感じないという無感情のことではないです。禅で言われているような『無』です。
『無』で身体の反応があったと聞いて私が思い出したのは、最近、瞑想が迷走しているということ(汗)。MBSRが終了しても瞑想は続けているんですが、どうも瞑想になっている感じがしないんですよね・・・。
私は、無の境地に辿り着きたいわけでも悟りを開きたいわけでもなく、それよりは無の境地に辿り着く手前の状態に行きたい。なんだけど、瞑想していてもその方向に向いている感じがしなくて、まさしく迷走していると感じていたんです。
じゃあ、どういう信念に変えていこうかということで身体の反応があったのは、『この瞬間に集中する』でした。つまり、思考が入る余地がないくらい集中している状態です。
ということで、この瞬間に集中するという信念に変えるためのエネルギーワークをしました。
身体のプログラムを解除する
今回行ったエネルギーワークは、サバイバルプログラムを解除することです。身体にプログラミングされている反応を解除するということをおこないました。
昔、生き残るための対処である自動的な反応として身体にプログラミングされたものが、今はもう不要となっているどころか悪影響を及ぼしている反応となっているものを解除することです。
では、どんなプログラムが働いているんでしょう?身体の反応を確認しました。
すると、反応があったのは、『思考がうるさいこと』でした。
そう、私の頭の中は、思考がわんわんしているんです。101匹ワンちゃんのように賑やかです。瞑想のときだけでなく、日常生活でも。こんな状態じゃ無の境地に辿り着く手前の状態に行きたくても行けないです。
根本原因を探る
今回はその根本原因を探っていきました。
すると出てきたのは、以前勤めていた会社でした。
とにかく忙しい職場にいたんです。10年ほど。
混乱の嵐の真っただ中に入社して、右も左もわからない中であらゆることをこなさないといけない。息つく暇もないくらいの忙しさの中で、いくつものことを同時進行させないといけない状況でしたので、思考は相当うるさかったと思います。というか、これでもかというくらいマルチタスクで思考を働かせざるを得ない状況でした。
今振り返っても、よく倒れずに働いていたな~と思うくらい。ただし、今、そのツケを払っているところですけど(苦笑)。
何年も経って、今はもう落ち着いた静かな時間がとれるのに、思考は未だに忙しくしていたんですね。
うん、私よく頑張ったよ。
ということで、その他にも必要なエネルギーワークをして、セッションを終了したのでした。
瞑想と体調のつながり

今回のセッションでは禅の無が出てきましたが、今は無よりも静寂という表現の方がしっくりきます。
無の境地とは、
雑念を排除し、完全にものに執着しなくなった心持ちのこと
Weblio類語辞書
また、
有無・是非・善悪など一切の相対的な思慮分別にわたることなく、それらの念慮を殺しつくして、全身ただこれ『無!!』になりきることである。そしてこの『無』をほんとうに体得することを、禅門では見性といい、開悟というのである
新版一行物
とあります。つまり、大雑把にいうと、判断も執着もない心境ということですね。
一見、瞑想のためのセッションではありましたが、あれこれ考えるのって、実はけっこうエネルギーを使いますよね。
わんわんしている思考に身体が反応して、ストレスがかかったり緊張したりして、心身ともに消耗していたのかもしれません。
物事はほとんどが複雑に絡み合っています。瞑想が迷走してたのも、体調の回復が停滞していたのも、どうやらつながっていたようですね。
そしてさらに精進しようと改めて決心したのでした。